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      <title>カトラーと東京町家の往復書簡</title>
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         <title>200年住宅ヴィジョンって何でしょう？</title>
         <description>迎川さん、今度はこちらがすっかりご無沙汰してしまいました。
その間に、「木造ドミノ研究会」まで立ち上げられたとのこと、新たな門出を心よりお慶び申し上げます。
さて、迎川さんたちが、着々と未来に向かって歩み始めたのに比べて、世の中には相変わらず停滞と閉塞感が漂っていますね。福田さんも首相になりたての頃は、安倍さんに比べれば安定感があり、色々やってくれるかなと期待も高かったのですが、耐震偽装問題に端を発した、建築基準法の改悪によって、官製不況の張本人ということになってしまいました。
住宅に関しては、小泉内閣の官房長官時代から「２００年住宅ヴィジョン」というのをつくり上げていて、福田さんなりに意欲を示していました。政権を握っていよいよ実行に移すという段になっていますが、内閣支持率も２０％を切ってしまって、このままではどうなるかわかりませんね。迎川さんは、この２００年住宅ヴィジョンについてどんな風にお考えでしょうか。
私は、ブログにも書きましたが、その内容を見ていくと、今の福田政権を象徴しているかのように、曖昧模糊としていて結局のところ何をしたいのかが見えてきません。
以前からミサワホームが、１００年住宅というキャッチフレーズを採用していましたが、２００年というとその倍であり、孫の世代のそのまた先ということになります。私の想像力が及ぶのは、せいぜいが自分の孫（まだいませんが）の世代ぐらいまでが限界ですから、その先となると、もうお手上げで頭の中は真っ白です。
ひょっとすると、２００年先のことなんかわからないから、どうでもイイヤ、全てお国にお委せしますという具合に、国民を判断停止に陥らせることを狙っているのかもしれないとさえ勘ぐりたくなります。
２００年前というと１８０８年、江戸後期の時代ですから、その時代に遡って、現在を意識して家を建ててみろという問題設定に等しいことになります。そもそも、そんな問題設定に意味があるのかということはありますが、それでも、あえて２００年前から変わらないものとして何があったのかと考えると、「国破れて山河在り」という言葉があるように、山、川、森といった自然しかないということに気づかされます。政治・社会体制も産業・経済も人心も全てが変わりました。２００年とは、この世の全ては流転するというということを悟らせる「無常の時間」なのです。福田さんが何を思って「２００年」といっているのか、皆目わかりませんが、２００年住宅の構想プランに書かれているような事柄、「ストック型の社会をつくる」「日本の住宅の質、量ともひきあげる」というようなフレーズは、２００年という時間を前にしては、ほとんど無意味、あるいは無力に思えます。
ただし、２００年住宅という概念に唯一意味を求めることができる点があるとすれば、それは、字義通り住宅というものを「２００年」という時間、すなわち自然の営みにまで帰してやることではないでしょうか。
もっと、はっきりいえば、２００年のレンジ、時間幅で考えるということは、住宅というものを人間の時間ではなく、木の時間、森の時間として考えるということです。住宅というものを、金儲けや環境破壊に明け暮れる愚かな人間の手からとりあげて、自然のものとして考えようというのであれば、これは、なかなか素敵な考えのようにも思えてきます。
現在の２００年住宅の構想についても、迎川さんたちがお考えのように、住宅というものを地元の国内材を使い、地域ビルダーによる地産地消のものとして捉え、さらにいえば、地域住宅産業と森の保全を同時に進めるといった考え方を明確に打ち出すなら、もっとメッセージ性の高い、画期的な構想になるでしょう。

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         <pubDate>Sat, 17 May 2008 13:58:18 +0900</pubDate>
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         <title>住宅産業に旗を建てる。（スロービルド運動）</title>
         <description>カトラーさん、きっとあきれてしまったでしょうね、ごめんなさい。とても大きな課題を出されたので、準備に大忙しでした。ここでやっとお知らせできる状況になったので、少しだけ書かせていただきます。

家を建てる目的ってなんでしょう？
見栄？義務？世間体？自惚れ？権力の誇示？いろいろあるかもしれませんが、多くの方は『家族の幸せ』に集約されるのでは無いでしょうか。
『健康で安全な家族の暮らし』が最大の目的。そう、つくる事より暮らす事を考える事が大切なんですね。○○工法の家もいいけど、大切なのは暮らしです。

某ハウスメーカーの幹部と話していたとき、「地域工務店は何で私達の真似をしたがって、自分の持っている良さに目を向けないのでしょうか？」と聞かれました。真似をしている限りでは常に偽物をつくっている訳で、価格でも信頼でもハウスメーカーの上に立つ事ができないと言うのです。「私達の悩みは、量産しないと経営が成立しない事」と言う。日本各地の「気候」「風土」「文化」「習慣」や個人的な「好み」「経済」「ライフスタイル」「夢」といった事にこまめに対応したいが、それを行ったんでは業として成立しないと言う事です。反面地域工務店って、量産効果はほとんど期待できず、否が応でも地域が抱える要素を引きずり、顔が見える関係で家づくりをしています。つまりハウスメーカーがやりたくてもできない条件を備えているんです。

家はどこにでも移動できる自動車と違って、地面にくっついて成り立つのです。如何に工業化を進めても現場作業はなくなりません。そういう意味では農業や林業に近い地場産業です。つまり、地域工務店こそがその役割をになう資格を有しているのです。せっかくその地域で○千万円の事業がおきているのに、多くがハウスメーカーのある大都市に吸い上げられて、手間賃しか地元に落ちなくては地域経済は衰退してしまいます。地域工務店が受注できればその事業費の多くが地域に落ち、地域活性化になるのです。

暮らしていくと言う事は、その地域と付き合っていくことだし、切り離して考える事はできません。例えば、高温多湿の地域に寒冷地型の輸入住宅を建てても快適な生活は望めないでしょう。以前より背が高く大きな家を建てて裏の家を日陰にしては近所づきあいもうまく行かないでしょう。コンプライアンスを遵守したって、地域から受け入れられなければ暮らし辛いでしょう。生活していくと言う事は地域のコモンセンスが重視されるからです。

カトラーさんから
『地域の住文化や建材を守るという視点に立って構成され、世界的な運動として広がっていくような旗印が、工務店の皆さんが手がける家づくりの現場にも必要な気がします。』
と突きつけられましたね。
この旗印を立てるために、とても長い時間と大きな仕事をこなさなければなりませんでした。カトラーさんや関係者、そして楽しみにしてくれていた読者の方々に、大変心配をおかけしてしまった事をお詫びします。

その間に福田総理は200年住宅構想をぶち上げ、地域工務店に対して踏絵を突きつけてきました。それはちょうど私達がつくり上げた「架構としつらえ」を分離して長寿命化を図った住宅システムに合致する政策でした。私どもはその住宅モデルで昨秋「グッドデザイン賞」「地域住宅計画賞」「エコビルド大賞」という大きな賞を次々と受賞しました。又東京都主催で地域工務店向けの説明会や見学会を開催して頂き、大きな反響も呼びました。そしていよいよ旗印を立てるべく『木造ドミノ研究会』の会員を募集するに至りました。3月21日には発足パーティを開催し旗揚げです。

ここで私たちは、『訛ったドミノ』を皆さんにお願いしています。今回私達がつくったのは『東京ドミノ』という事にしていわば標準語のドミノと位置づけ、会員工務店は自分たちの地域が本来持つ「気候」「風土」「文化」「習慣」を掘り下げて、自社が持つ得意技をそこに加えて、木造ドミノの基本理念と構造システムの骨格に表情を付けていく作業から、地域に訛ったドミノを創る事です。カトラーさんが引き合いに出した「スロービルド」運動という事になるかもしれません。できるだけ地域の建材を使い、地域の職人の力と技法で、地域の住文化に馴染んだ暮らしができる家をつくることです。そして地域で発生した家づくり事業で落ちるお金は、地域に還元され、地域の産業にお金が廻り活性化することを目論んでいます。これから住まい手を巻き込んで大きく住宅産業を転換し、豊かな住文化を育んで行こうと思っています。10年後の日本の住宅業界は、想像も出来ないことになっていますからお楽しみに！
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         <pubDate>Sun, 24 Feb 2008 20:16:07 +0900</pubDate>
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         <title>旗を立てましょう</title>
         <description><![CDATA[迎川さん、ここ数日ですっかり秋めき朝晩冷え込むようになりました。お元気ですか。
地球温暖化の影響が出始めているのか、やたらと暑さが身にこたえた夏でしたが、迎川さんが見たという「悪い夢」には、正直ゾクッとさせられました。<a href="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2007/10/post_f5f5.html">小生のブログ</a>の方にも紹介させていただき、迎川さんの描いたホラーストーリーに私なりの意見を述べさせてもらいましたが、ゾクッとさせられたのにはいくつか理由があります。

ひとつには、住宅業界の未来について、既にシナリオが描かれレールが敷かれているのだということが、迎川さんの文章を通じてはっきりとわかったことでした。耐震偽装問題が生じ、社会問題化した時点では、先を見通している御仁は、さすがにいなかったと思いますが、ある時点でシナリオを書き始めた人間がいたということでしょう。日本の役人はバカじゃありません。改正建築基準法をめぐる問題では、表面的には役所の怠慢、無能さがあらわれたように見えていますが、実はしっかりと計算が働いています。家づくりの現場にコンプライアンスを持ち込み、それを踏み絵にして、工務店を選別する、あるいは切り捨てるという政策が動き始めたということです。

残念ながらというか、悔しいことに、産業政策としては、文句のつけようがありません。マーケットが縮小し、今後、過当競争と淘汰が進むのですから、業界全体の共倒れを防ぐには何かを基準にして、退場するものと生き残るものを線引きしなくてはなりません。そこで、耐震偽装問題で盛り上がった社会的な批判を逆手にとって、コンプライアンスの旗を掲げ、業界の再編や淘汰を一気に進めるつもりなのでしょう。マーケットの縮小に見合った形で淘汰が進み、生き残ったビルダーが、コンプライアンスを重視する大人しい存在であれば、役所としては、なおさら結構ということでしょう。こうした業界再編の下図があらかじめ描かれているとすれば、改正建築基準法をめぐる問題で今後も当局が、現在の頑なな姿勢を軟化させる可能性は低く、来年末に予定されている４号特例の廃止までこの調子で突っ走るつもりだと思います。

もうひとつ、背筋がゾクッとさせられたのは、グローバル化の流れが、いよいよ、ここまでやってきたか！ということでした。米国のサブプライムローン破綻は、どこか他人事のように受け止められていましたが、ノンリコース型の住宅ローンの導入が進められれば、否応なしに日本の住宅産業はグローバル経済の奔流に巻き込まれていくでしょう。それは、「護送船団」に守られていた１０００兆円ともいわれる日本の個人金融資産の流動化を住宅金融を通じて企む「米国の陰謀」といえるのかもしれません。しかし、迎川さんも指摘されているように、ノンリコースローンの導入によって、これまでのように子々孫々までローンの取り立てに追いかけられなくて済むなど、住宅購入者にとっては、朗報になる要素もあります。米国におけるサブプライムローンの破綻と同じようなことが日本でも発生するのではという懸念もありますが、年収制限など、個人の返済能力の審査も加味することにすれば、「日本版サブプライムローン」の導入への大きな反対理由にはならないでしょう。
安くて、便利なもの、自分にとって都合の良いものがグローバル化の恩恵としてもたらされるとしたら、基本的にそれを歓迎するというのが生活者というものです。例えば、グローバル化の波によって、安い米や農産物が押し寄せてきて、日本の農業は瀬戸際に立たされています。しかし、例え日本農業の危機について認識していたとしても生活者は、安くて品質の良い米であれば、迷い無く外国米を選択するでしょう。家についても同様です。安くて品質の良いものなら、米国だろうがＥＵだろうが、どの国の息がかかっていたとしても、グローバル化の恩恵を知ってしまった生活者にとって、それはどうでも良いことです。

もう少し大きな目で捉えると、たぶん、このことは、住宅産業だけでなく、全ての産業領域や生活文化領域で私たちが直面している普遍的な問題であることがわかります。物事をあまり図式化することは危険だとは思いますが、このことは、例えば、以下のような対立図式として捉えられるのではないでしょうか。

ローカルｖｓグローバル
スローフードｖｓファーストフード
共生ｖｓ独占
文化ｖｓ文明
環境重視ｖｓ効率重視
多様性ｖｓ標準化
コモンセンスｖｓコンプライアンス

さて、ここで、あえて挑戦的な物言いをさせていただければ、日本の住宅産業や、その中核を占めている工務店の皆さんにとって、現在、置かれている状況は、上に示した「対立図式」以前、対立図式そのものを構築できていない状況にあるといえるのではないでしょうか。
イタリアに源を発するスローフード運動は、マクドナルドなどに代表されるグローバル企業による食の同質化、独占化に抗して、地域の食文化や食材を守るという視点に立って構成され、世界的な運動として広がっていきました。同じような旗印が、工務店の皆さんが手がける家づくりの現場にも必要な気がします。
「あたり前の家」とは、その点を意識した運動なのかも知れませんが、地域の環境や文化に根ざした家づくりを進める工務店の皆さんの仕事を、マクドナルドのハンバーガーと同列には論じさせないための「旗印」が必要なのではないでしょうか。別の言い方をすれば、コンプライアンスをいいながら、実は責任回避と保身だけをいっている役所の理屈を上回る「旗印」といってもよいでしょう。

旗を立てることが必要です。


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         <pubDate>Sun, 21 Oct 2007 09:56:34 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>建築基準法改悪による混乱(東京町家)</title>
         <description>　加藤さん、しばらく間が開いてしまって申し訳ございません。夏バテにやられていたわけでも建築基準法改正問題で翻弄されていたわけでもありませんが、どちらも大変な今年の夏でした。

　さて、下町の大工の棟梁が「法律で家は建たない」と言っていたのは、洒落ではなく本当に「法律で家が建たなくなってしまいました」。基準法改正の影響で建築確認が下りず、とうとう8月の住宅着工戸数は、対前年度比マンションで63.2％減、戸建住宅で32.9％減になってしまいました。着工できないと言うことは、今後職人に仕事が発注されないと言うことで、このブランクをどうやって埋めようか頭の痛いところです。運用基準も構造計算ソフトも未完のままで法改正に突入してしまったと言う、国の大失態が混乱の原因です。責任回避のために業務をサボタージュする役人らには税金から給料が支払われ、仕事にあぶれた職人は収入がなくなるのです。マンション関係の労働者の3人に2人、戸建関係の労働者の3人に１人が食えなくなる勘定です。

　こんな実態を知らされない普通の市民は、法律をもっと厳しくして建築の手抜き工事等の不正が起きないようにして欲しいと言う。姉歯問題を他人事のように冷ややかな目で見て、積極的に問題解決に乗り出そうとしなかった建築業界が、市民から「いい加減な悪党ばかりで信用の置けない業界」と烙印を押されてしまった結果かもしれません。私達も大いに反省しなければなりません。

　不心得者はどんな業界にも、例えば医者にも弁護士にも国会議員にも役人にもいます。年金問題を見れば明らかです。そんな一部の不心得者のせいで、職人の生活が脅かされたり市民の不信を買ったり、更には検査や保証といった制度が創設されたりと、家づくりがとても複雑で不自由でつまらないモノになってきているのは困ったものです。複雑にすれば限られた建築コストの中から、ものづくりに掛けられるお金が削られて非生産的なことに時間と金が回されます。検査１つ取っても建築・保険・性能保証・融資等々幾重にも行いその費用だって馬鹿になりません。そしてそれを負担するのは家を建てる市民なのです。もっともっと情報公開をして、誰でも自分が信頼できる工務店を選べるようになれば、こんな無駄なことは必要なくなるのです。下町の棟梁は「ここで下手なものつくったら、この街で飯が食っていけなくなる」って言うでしょう。情報が直ぐに伝わる社会システムですから、信用を大事にしているんですね。だから誰も見ていなくても手が抜けないのです。非生産的なことに無駄遣いしないから、キチンと収入が得られ社会全体が潤うのです。

　悪い夢を見てしまいました。これは夢ですからあくまでもフィクションです。

A；両国の経済発展のために取り交わした年次要望書に従った法改正は進んでいるんだろうな！
N：・・・それが、大蔵がなかなかいい顔しなくて・・・努力しています。
A：そんな事言ってるからだめなんだよ。我が国が大恐慌の時どんな政策を採って社会秩序を立て直したか知っているだろう。今それを断行しなきゃ、あなたの国の将来は無いね。
N：ニューデール政策はもちろん知っていますが、なかなか日本の社会に馴染まなくて・・・。
A：大蔵に遠慮して、未だに人の命を担保に住宅資金を貸しているなんて、話にならんよ！
N：それは判っているんですが・・・なにしろ大蔵が。。。
A：その結果がどうだ。保証責任能力も無い建築家や工務店がはびこり、いい加減な家をつくるから、住宅は使い捨てにされちっとも社会ストックにならないのだよ！ニューデール政策を断行した我が国は、平均で７５年以上の住宅耐用年数なのに、日本はその３分の１しか持たないじゃないか。いつまでこんな無駄を続けるつもりだ！
N：早急に国会に建築基準法改正案を提出して・・・。
A：法案が通る見通しがあるのか？今回だけはなんとしてもノンリコースをやってもらわないと困るんだ。こっちとしても、サブプライムがかなりやばい事になっているんだ。時間が無いんだよ！
N：はぁ、早急に善処しますので・・・。
A：そんなんじゃ困るんだよ、日本の金融は大蔵が守ってくれたおかげで、よだれが出るほど美味しい市場になっているんだからな。ちょっとこっちに来なさい・・・・・・。
N：え～ぇっ・・・そんなぁ、無理ですって。大変なことになりますよ。
A；じゃ、他に名案があると言うのかね。
N：いや、それは・・・。
A：やる気ないんじゃないか！耐震偽装しているマンションの一つや二つあるだろう。直ぐに探せ！
N：は、はい。判りました。
A：もう一度言う、人の命を担保に金を貸すのは間違えだ。きちんとした建物の建築基準を創り厳格な検査を行い、資産価値のある住宅にして住宅自体が担保になるようにしなくては社会資本にならない。長期に渡りその機能を維持し資産価値が残る家をつくる為のチェックリストを早急にまとめなさい。ニューデール政策の時に創った基準があるから、これを下敷きにしなさい。
N：はぁ・・・。
A：欠陥マンションで不安を煽れば、マスコミも動き、大蔵だってノンリコースを認めないわけにいかないだろう。ローンのために危険なマンションに住み続けるなんて馬鹿げている。ノンリコースにすれば、欠陥マンションから出てしまえばもうローンから開放されるんだから、新しい生活に歩み出せるんだ。
N：なるほど・・・。
A：これで日本からわけのわからん粗悪な住宅も無くなり、社会ストックが重ねられる。そうなれば我が国の金融機関が大手を振って住宅市場を席捲できる。
N：でも、アメリカの住宅市場では住宅専門の建築家は存在しないのでは？業界が黙っていないでしょう。
A：厳しい検査制度や確認制度をつくって、業務を複雑にすればそこに仕事が生まれるだろ。どっちみち社会の役に立たない連中なんだから、そういう受け皿を作れば何も言わんさ。
N：アメリカではデベロッパーが主に住宅をつくっていますが・・・。
A：日本だって、もうハウスメーカーも窒息状態だろう。統廃合して幾つかのグルーピングにして、健全な競争原理が働くようにしなさい。工務店はその傘下に配置すればいいだろう。傘下に入りたくない技術を持った工務店は、メンテナンスとリフォームを担当させればいい。わが国のホームメンテナンス市場は地域工務店がしっかりと守っている。これは日本の住宅産業革命なんだよ！
N：でも工務店や建築家がそんなに簡単に従いますかね。
A：馬鹿だなぁ、従わせる必要なんか無いよ。彼らが自主的に辞めたくなるようにすればいいんだよ。
N：で、どうやって？
A：少しは自分で考えなさい！曖昧な基準と運用で市場を混乱させ、違反者には厳罰を持って処し、意味も無い書類をやたらに添付させ、ことごとく嫌味な文句をつけてなかなか確認をしない。これだけ嫌がらせをされたら、まともな人間だったら誰でも辞めたくなるだろう。
N：なるほど・・・。
A：完璧を狙うなら２段階に締め付けなさい。小住宅にも厳しい構造計算を義務付ければ、工務店や建築家なんて、ほとんどが構想計算できないから諦めるよ。
N：でも、そこまでやったら、ハウスメーカーの団体が黙っていないでしょう。彼らから多額のサポートを受けているからなかなか先生たちが・・・。
A：だから、型式認定でハウスメーカーには今より負担を軽く確認が下りるようにすればいいんだよ。彼らから感謝されるぞ。
N：なるほど・・・そういうことですか。でも、ノンリコースは、親父が亡くなったら家族は家を出なけりゃならないのでしょう？それはちょっと・・・。
A：だから、生命保険をペアにするんだよ。そうすればいざという時お金が下りるから、家族は幸せに住み続けられるって訳さ。住宅融資と生命保険業務をこちらに任せてくれよな、悪くはしないから。
N：そういうことでしたか、さすが先進国は違うなぁ。早速耐震偽装マンション探します。

　あくまでもこれはフィクションですから、登場する国や団体には一切のかかわりがございません。

　加藤さん、いやな夢を見てしまいました。正夢にならない様に私達は目を光らせていないといけませんね。家づくりは保険や保証に守ってもらうのではなくて、住まい手とつくり手の信頼関係の上に成り立たないとおかしいと思うんです。ましてや外圧で法律や制度を変えてしまうなんてどうかしています。業界の悪いところは真摯に見つめ直し改善し、信頼できる業界にしていかなくてはなりませんね。そして国も今回の失態を謙虚に反省し学習して、平成２１年１２月の４号建築特例廃止時に今回のような混乱を招かないようにしていただきたいものです。私達地域工務店とって、本番の台風は４号特例廃止時にやってきますから。

　加藤さん、住宅って社会の資産であり、個人のものであると同時に地域のものでもあると思うんです。だから法令順守というお役人的なことよりも、地域の実情からその地域に生まれ育った、地域の掟みたいな暗黙のルールが優先されるべきだと思います。コンプライアンスよりコモンセンスですね。
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         <link>http://www.atari-mae.com/for_koumuten/blog2/2007/10/post_3.html</link>
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         <pubDate>Mon, 08 Oct 2007 22:59:09 +0900</pubDate>
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         <title>コンプライアンスよりもコモンセンス</title>
         <description><![CDATA[うだるような猛暑が続く毎日ですが、迎川さんは、お元気ですか。

昨年の夏のことを思い出すと、建築業界を揺るがした耐震偽装問題の公判が始まり、日本中の目が集まりました。それから１年が経過し、この６月２０日には、この事件が契機になったといってもよい改正・建築基準法が施行されましたが、とんでもない混乱が家づくりの現場で起きているようです。
私事になりますが、義理の弟が設計事務所を経営していることもあり、耐震偽装問題が社会を揺るがせて以来、特別の関心を持って事態の推移を注視してきました。彼も、業界人の一人としてこの事件には心を痛め、同時に、今般の建築基準法改正に伴う現場の混乱を苦々しく感じているようです。業界の皆さんは、まなじりを上げて建築基準法改正への対処に忙殺されているようですが、われわれ素人には、法律が改正されたことさえ認識されていません。日経ホームビルダーが緊急アンケートを行い、一般人の法律改正に対する認知度は約２８％程度しかないという<a href="http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20070807/510415/">結果を発表</a>していましたが、これとて高すぎる数字に思えます。

そもそも、建築基準法というもの自体が一般人にとっては馴染みが薄い存在です。特に、私が住んでいる下町などでは、もともと違法建築物が多く、大工さんなども基本的には「法律じゃあ家は建たねえよ」という調子ですから、建築基準法などは、時々拝んでればよい「ご本尊」みたいなものとして考えられていました。
それが、今般の「改正」では、建築基準法を厳しく遵守することが行政側や業者に求められているようなのです。ご本尊どころじゃない、強面のお巡りさんが突然現れたという感じでしょうか。日本中を揺るがした耐震偽装問題ですから、法律の運用を厳しくするのは当然かもしれないと思う一方で、大企業などで導入されている「コンプライアンス（法令遵守）」などという窮屈な考え方を家づくりの現場に持ち込むことには大きな疑問を感じます。

確かに、地震の際などに人の命に直接関わる建物の構造などについては、法律に基づくチェックを厳しくすることが必要と考えますが、内装用のクロスの品番まで、大臣認定がとれたものかどうか、建築確認申請の段階で役所から確認書類を求められたというような話まで聞こえてきます。
個人情報保護法が施行された時もそうでしたが、「コンプライアンス」といったん叫んだとたんに、それが独り歩きして、振り回されてしまうという事態が発生します。ＩＴ業界は、この個人情報保護やそれに続く内部統制というテーマをネタに商売をしており、迎川さんがご指摘のように、ＩＴ市場を作り出すために米国政府が仕組んだ陰謀といっても過言ではない状況です。これと同じようなことが、建築業界でも生じているということなのでしょうか。

もっともＩＴ業界の方は、「コンプライアンス」自体を飯のタネに転化しているわけですから、確信犯に近いのですが、建築業界の場合は、施主側に、建築基準法改正の認識が欠けているもかかわらず、事態だけが進行しているとしたら大きな問題だと思います。実態はどうなっているのでしょうか。
先述したように、そもそも「コンプライアンス」とは、内部統制が組織の隅々までききにくい大企業を対象に言われはじめたことであり、家づくりの現場には馴染むものではないと思います。下町の大工の棟梁が「法律で家は建たない」といっていたのは大変正しくて、その真意は、何も法律を破ってもいいということではなく、法律以前に大切にしなくてはならないものが、家づくりの現場にはあるということなのではと考えています。それは、迎川さんたちの活動に即していえば、家づくりに欠かせない「コモンセンス（あたり前）」ということなのだと思います。
コンプライアンスよりもコモンセンスのほうが、家づくりにとっては必要なのではないでしょうか。





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         <link>http://www.atari-mae.com/for_koumuten/blog2/2007/08/post_1.html</link>
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         <pubDate>Sun, 19 Aug 2007 15:58:20 +0900</pubDate>
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         <title>棟梁2.0を苦しめる建築基準法改悪 （東京町家）</title>
         <description>加藤さん、棟梁2.0ですか…。
八つぁん熊さんの時代の棟梁が聞いたらびっくらこいて目を白黒させてしまうでしょう。ただこの2.0には重い意味があると思う。昔の棟梁はその技術で信頼を勝ち取れば良かった。だから、棟梁をはじめとした職人の多くは偏屈で自分勝手でも成立した。しかし現代の棟梁は『技術』と『知術』を持ち合わせることを求められている。つまりこの2つの術を兼ね備えた棟梁こそ『棟梁2.0』と称されるのだ。

加藤さんのメールを読んだときにまず思い出したのは、15年ぐらい前のある左官さんとの話。優れた左官がいると言う噂で仕事を見に行き、その後一杯誘って話している時に彼は言った。「設計屋さんはイメージを組み立てるのが仕事だから、明確なイメージを創り伝えてくれればいいんだよ！壁の塗り方や細かな事まで言う事は無いんだよ。僕たちは小僧の頃からずっと壁を塗ってきたんだから、申し訳ないが壁を塗らせりゃ設計屋さんよりずっと上手いし、いろいろな手法も知っている。」よし気に入ったと言う事で、その後私が設計した蕎麦屋の壁を彼にお願いした。「この店に来た人は憂久の時間を感じながらゆったりとお酒が飲めるような、そんな壁を塗って欲しい」と伝えた。彼は3色の土を使って地層のような壁をつくり貝殻や小石を嵌めた。何千年と言う時間の経過を思わせる壁ができた。

加藤さんがおっしゃるように、インターネットや雑誌から住まい手が専門的な知識を得る事はそう難しい事ではない。でもそれは単に聞きかじりの情報で、自分の技術ではない。もしそれが自分の身に付いた技術であれば、自分で設計して、自分で鋸を持てば良いのだ。自分の技術でもないものを振りかざしてとやかく言うのは、まるで設計屋さんが左官さんに壁の塗り方を指導しているようなもので、滑稽な事だと思う。しかし最近こんな事が良く起きている。その根っこにはお互いの信頼関係の欠如がある。つまり『棟梁2.0』になれない工務店と半端な情報に惑わされている住まい手の不幸な関係。

工務店のホームページやパンフレットを見ると「自然素材にこだわって」とか「無垢の木にこだわった家づくり」という言葉が踊っている。僕が子供の頃は「そんなつまらない事にこだわっていないで、もっと大局を見ろ！」と叱られたものだ。例えば広辞林で『こだわる』と引くと『心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。』これって昔ながらの偏屈な腕自慢棟梁そのものだと思いませんか？　そう、まだまだ残念ながら棟梁2.0になれない、あるいはなろうとしない工務店が数多く存在する事は事実。住まい手の方を見ようとしないで、自分の考え方や価値観を押し付ける頑固な『こだわり工務店』が多く、工務店不信の原因になっている。彼らが「自然素材を活かした家づくりが得意」とか「無垢の木を使った家づくりを手がけている」と言う言い方に変わった時、住まい手も工務店の話を聴いてくれるようになるだろう。そんな中から信頼関係が生まれるように思う。

棟梁2.0に求められる資質とは、ものづくりの優れた『技術力』の他に、バランスの取れたコンサルティング力や情報を駆使した伝達力、法律や建材等の幅広い知識といった『知術力』。この知術力を持たないタイムマシン棟梁は、現代社会ではその輝きを失い、滑稽にすら見えてしまうかもしれない。今工務店に求められている事は、住まい手の夢や要望・法律・資金・街との調和・技術等々の複雑に絡み合った与条件に対して、一つ一つ丁寧に解きながら場合によって切捨て繋ぎ合わせて、バランスの良い一つの形にすること。

今の家づくりの弊害は、お金の流れによって立場のヒエラルキーがつくられていること。つまり、お客様は神様であり、建築家は先生であり、工務店は御用聞きになってしまっている事。この関係が存在する限り本当の意味でみんなが力を併せた家は産まれない。私は東京町家の家づくりをする場合、最初に『快適に永く住み続けられる家づくりに関わる全ての人の平等と責任』について合意を取る。住まい手は自分たちが望む生活のイメージや持ち物や家族の構成や支出可能な予算を正確に伝え、期日通りに代金を支払う責任。描き手は複雑に絡み合った条件を整理して単純な形にまとめ、具体的な図面として表現する責任。つくり手は約束した費用と時間内に図面通りの建物をつくり上げ引き渡す責任。この3つの手が信頼と言う絆でしっかり結ばれ、各々がその責任を全うし、同じ目的に向かって平等に意見を述べられなくてはならない。

加藤さんが定義した『棟梁2.0』の3条件、私もその通りだと賛同します。そして、それはけして無い物ねだりなんかではないし、健全な住宅業界の成長のためにも、そうしなくてはならないと思います。住まい手は不得意な家づくりについて勉強して心配する事よりも、人生経験の中から信頼できる家づくりパートナーを見つけ出す事の方が正確な判断ができるように思う。そして、家づくりの本来の目的である、幸せな家族の生活を考える事が大切。

最後にコメントをいただいた山田さんのご質問にお答えすると、進化したものは家づくりの方法や住まい方や価値観の多様化で、選択肢が莫大に増え、建築に素人の住まい手でも簡単にその情報を得られる事。退化したものは地域に存在した家づくりの暗黙の決まりごと。例えば柱の種類と寸法が決まれば、自動的に建物の仕様と金額が決まり、手板の平面図だけで住まい手にも完成形が想像できた事。そのため、現在の工務店は出来上がる建物についての説明責任を負う。地域で顔が見える関係の中でされていた家づくりは、アフターサービスなんて言わなくても、保証書や保険が無くても、その家がある限り守り続けるのが工務店の仕事であり責任だった。家づくりが必ずしも地域工務店ではない場合も増え、職人の顔も見えなくなり、その責任の存在が信頼関係から書面に変わった。

さて、今回の建築基準法の改正で、地域工務店にとって非常に不利な形がつくられた。ハウスメーカーは工場生産する都合上、工事が始まっての変更は無くしたいし、変更すれば間違えが生ずるので避けたいところ。反面地域工務店は、工事中でも住まい手の要望に柔軟に応えられる所に良さがあった。つまり顔が見える関係だからできること。今回の基準法改悪でそんな住まい手の要望にも原則応えられなくなった。ここ10年ぐらい国が進める住宅政策はハウスメーカー擁護が目立ち、『新築は資本と信用があるハウスメーカー、リフォームメンテナンスは技術力がある地域工務店』という棲み分けが顕著になってきたように思います。品確法や姉歯問題も住宅ビッグバンの一環でしょう。最近気付いたのですが、この一連の動きの裏で糸を引いているのはアメリカ政府ではないでしょうか。つまり日本の住宅市場にノンリコースローンを導入して、金融と保険にアメリカの金融機関が参入したいというのがその心ではないでしょうか。最近のアメリカの低所得者向け住宅ローンの破綻を見ても、日本の住宅ローンがめちゃくちゃ甘く金融機関にとって有利に見えているのではないでしょうか。そのための住まい手や地域工務店を無視した建築基準法改悪、法施行後の審査現場の混乱をどのように思いますか？
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         <pubDate>Wed, 08 Aug 2007 10:48:09 +0900</pubDate>
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         <title>カトラーと東京町家の往復書簡　第3回</title>
         <description>素人の反乱と棟梁2.0の誕生　
byカトラー

現代の家づくりにおいては、せっかく『普請』をしたのに、やがて『不審』探しが始まり、ついには『不信』を募らせる結果となっているという迎川さんの指摘には、思わず「そうなんです」と頷かされました。
住宅に関する情報が、様ざまなメディアに溢れかえっています。そうした情報に晒された結果、建て主も作り手も耳年増状態になり、互いに疑心暗鬼に陥りやすい状況が生まれているといえるでしょう。昔は全てを承知した棟梁と長年の信頼関係のある旦那が、阿吽（あうん）の呼吸によって家がつくられていた幸せな時代が存在しました。しかし、残念ながら、そうした牧歌的な関係は崩れてしまいました。作り手からは、「棟梁」が消え、建て主からは「旦那」が消え、両者の間には寒々とした関係が残りました。その結果、家づくりは、地域に根ざした家業であることをやめて産業化する道を選び、結果的にサラリーマンが家をつくるようになったのです。迎川さんは、住まいづくりのあるべき姿を患者と主治医の関係に擬えていますが、そうした施主と作り手との全人的な関係を取り戻すことはできるのでしょうか。

昔の家づくりは棟梁が全てを仕切っていました。現場で手下の大工たちを使って家を作り上げていく棟梁の姿は、子供心にも本当に頼もしくカッコよく見えたものです。だったら、昔の姿に戻せばよいのかといえば、そう単純にはいかない。仮に昔の棟梁をタイムマシンでこの時代の現場に連れてきたとしても、残念ながら、その輝きは見る影もなく色褪せてしまうでしょう。複雑化した建築基準法や通信・IT機器とのインターフェイスなど、現代では建物以外の問題も含めて、家づくりを考えなければならない状況になっているからです。「ビフォーアンドアフター」というリフォームを題材とした番組が人気を呼んでいますが、あの番組に紹介されているような改築をしてくれといわれて、立ち往生してしまうケースがままあるといわれます。善し悪しは別にして、メディアの影響によって施主側の家づくりに対するイメージばかりが暴走しているきらいがあり、昔気質だけでは、とても対応できる状態ではないのです。


このことは別の見方をすれば、情報化が進んだ結果、専門家と素人の垣根が低くなって安定した関係を作りにくくなった現象といえるのかも知れません。大工の棟梁に限らず、学校や町医者の先生、地域の中で専門家として尊敬を集めていた人々の肩身がドンドン狭くなっています。迎川さんが、例としてあげられている患者と主治医の関係も、かつてのように医者は治療行為の全てを任せられる神のような存在ではなく、パートナーとして患者に対して治療・予防に関する適切な情報と選択肢を示す役割が何よりも重要になっています。迎川さんとやりとりをしている、このブログについても同じことがいえます。私は一応メディア業界に身を置いてきましたが、家づくりの専門家の迎川さんと、こうしてメディア上で直接キャッチボールをするということは、少し前まで考えられないことでした。

家づくりの領域でも、実は素人の反乱が始まっているのではないかというのが、密かに抱いている私の仮説です。昔の家づくりの良い点を継承することは、大切ですが、この基本の流れを見失うと、「昔は良かった」式の単なるノスタルジーに陥ってしまいます。プロと素人の関係が変わり、素人が色々物申す存在に進化したとすれば、プロの方も当然のことながら変わらなければなりません。
もう、昔には戻れない、もと来た道を逆戻りすることなどできないのだということを、どんな業界のプロフェッショナルたちも自覚する必要があるでしょう。あのカッコよかった棟梁は、そのままでは、使い物にならないというホロ苦い認識を持つことから全てを始めることが必要なのです。

現代の家づくりが抱える課題に応えるプロフェッショナルとしての新しい「棟梁」の姿。あまり好きな言葉ではありませんが、Web2.0などに倣って、あえてそれを「棟梁2.0」と表現するなら、一体どんな姿になるでしょう。

ぜひ迎川さんにも、ご意見をもらえればと思うのですが、私は次のようなイメージを持っています。
① 家のことを色々知っていて、施主の家づくりを助け、施主に対して説明責任を果たす人である。
② 家づくり、家守りを施主のパートナーとなってマネジメントする人である。
③ 土地のこと、環境のことを考え、地球環境を守ることについても地域のリーダーとなってはたらく人である。

前稿でも確認したように、家とは工業製品のように、商品棚から買うものではなく、それぞれの土地柄と環境に即して建てるものであるということが、まず前提となります。棟梁2.0は、そうした家づくりを施主の立場に立って助ける存在になるべきでしょう。Web2.0の世界では、CGC（消費者自身が作るコンテンツ：Consumer Generated Contents）という言葉がありますが、今後は、施主自身がDIY（Do It Yourself）で家を建ててしまうという事態さえ視野に入れる必要があるかも知れません。すなわち、棟梁2.0は、Web2.0などと同様に、徹底した川下志向、顧客志向に立つべきと考えます。「ナントカ系列」といわれるように、今の工務店さんは、どちらかというと、ハウスメーカーや建材・設備メーカーに顔を向けて仕事をしている傾向があります。そうではなくて、徹底してお客の立場から家づくりを考えてくれるプロフェッショナルが地域に必要だと思うのです。工務店の皆さんが、真の意味で顧客志向になった時に、棟梁2.0は自ずと生まれてくる…こんな私の考えは、結局、無い物ねだりになってしまうのでしょうか。
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         <pubDate>Tue, 17 Jul 2007 12:04:02 +0900</pubDate>
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         <title>カトラーと東京町家の往復書簡　第2回</title>
         <description>「普請が不審になりやがて不信になってしまった」

剛速球投手のカトラーさんからの球は、丁寧に低めのコースを付いたストライク。私が受け損ねて後逸する間に時間が過ぎてしまいました。ごめんなさい。文章を書くのが仕事のカトラーさんとのキャッチボールは私に不利だと思ったら、内容については私の仕事範疇と言う事で、仕掛け人の塩地さんはバランスを取ったのでしょう。

by 迎川利夫

家づくりは複雑化してきて、住まい手には理解できない世界になってしまったようにも思える昨今、あなたが建築請負契約した相手がハウスメーカーだろうがパワービルダーだろうが工務店だろうが、実際に現場で家をつくってくれるのは地域の職人さんだと言う事に変わりはありません。
どんなに大きなハウスメーカーでも社員に大工さんや左官さんはいませんから。その事が家づくりに大きな影響を持ってくる事は、カトラーさんがそうであったように、家を建て始めてはじめて気付く方がほとんどです。つまり家をつくる職人さんと顔が見える関係を築けるのは地域工務店だけということです。


「家とは、家づくりにかかわる人々、また地域社会との関わりなど、人々との交わりの中から生まれてくるものであり、それ自体がコミュニケーションの塊のようなものです」


まったくその通りですね。自動車と家の違いは、地面に付いているかどうかだと思います。その地域の気候風土風習文化などなどと関わりながら人たちは生活しています。家づくりの最終目的は『暮らし』にあるのですから。そこで快適に暮らしていくためにはそれらのモノ達との応答が不可欠。もちろん地域の人たちとの応答も。自動車を「商品」と呼んでも違和感はありませんが、「家」は商品には馴染み難いようです。多分ご指摘のように一品生産による特殊性と、同じ家でも周囲の環境により住み心地が大きく左右されるからでしょう。


こんなあたり前のことを『商品』とみなし、むりやり『産業』構造に組み入れたことから、家づくりの不幸が始ったと思っています。作品と呼ぶのが良いかどうかは判りませんが、少なくても商品ではないはずです。商品と勘違いしているから営業マンは商品特性とその優位性について熱心に説明しますが、暮らし方の知恵については無関心です。結果として工事中の変更や住み始めてからの不満になります。

暮らし始めればスペックではなく五感で家の善し悪しを判断するからです。商品はその仕様と図面に違わずにつくられ引渡されるべき物で、そこに商品としての価値が担保されます。快適に住み続けるためにはメンテナンスが必要ですし、家族の形態の変化に合せていく改造も必要です。この『家守り』という行為は『産業』というより『家業』に馴染みが良く、代を超えた人と人のコミュニケーションが信頼の基になっているからです。それはまるで主治医のような関係です。そして、医療が産業に馴染みが悪いのと似ています。


昔は家づくりのことを『普請』と呼んでいました。「安普請でお恥ずかしい・・・」などと謙遜したものです。住まい手とつくり手が単純な関係で構成され、その地域ごとに一定のルールや暗黙の合意事項が存在しました。
だから、柱の寸法が決まればその他の部材の寸法が自動的に決まり、柱の種類を選べば仕上げの程度が決まりました。今みたいな複雑な図面が無くても、手板一枚でつくり手と住まい手が空間のイメージを共有できたものでした。細かな事を言わなくても住まい手の暮らしぶりや性格や体格など判っていたので、「奥さん小さいから流し低くしといたからね」なんて事で成り立っていました。人と人が顔を合せて、その暮らし方を想像しながら家がつくられていたのです。最近は家づくりに関わるモノと人の関係が複雑になり、住まい手には理解しにくくなっています。
更にマスコミ等で欠陥住宅や手抜き工事を針小棒大に報じるため、自分の家の不審なところを探し始め、営業マンに問い合わせると現場の状況がわかっていないので的を外した返答に、ますます不信感を募らせるという事になっています。
『普請』→『不審』→『不信』こんなことでは家づくりに疲れて楽しめるわけがありませんね。この循環を止めるには、受注を単純にし、住まい手とつくり手が対等の立場で責任を果たし、顔が見える関係を築き信頼の上に家づくりが成り立つようにする必要があります。
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         <link>http://www.atari-mae.com/for_koumuten/blog2/2007/06/2.html</link>
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         <pubDate>Tue, 26 Jun 2007 05:18:21 +0900</pubDate>
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         <title>カトラーと東京町家の往復書簡　第1回</title>
         <description><![CDATA[「家をつくる人を何と呼びますか？」byカトラー

<a href="http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2007/05/post_0b21.html">「あたり前の家とコモン・センス」</a>という雑文を自分のブログに書いたことがきっかけで「あたり前の家」ネットワークの皆さんとご縁ができ、家づくりについて色々議論を交わす機会が得られました。私は、住宅については全くの素人ですが、自分が家を建てた経験からも、プロと素人が考える「あたり前」の間には、かなり大きな溝があるという実感を持っていました。プラモデルを組み立てるのと違って、家とは、家づくりに関わる人々、また地域社会との関わりなど、人々との交わりの中から生まれてくるものであり、それ自体がコミュニケーションの塊のようなものです。ですから、家とは、木や石によって作られるモノであると同時に、人間同士を繋ぐ「言葉」そのものでもあるといえるでしょう。

「あたり前の家」ネットワークの中心メンバーで、「東京町家」という、素晴らしいブログを運営されている迎川さんと意気投合し、家づくりの言葉についてプロの迎川さんと素人の私の間でキャッチボールをしてみたら面白いのではないかという企画が生まれてきました。

家づくりの言葉について二人がキャッチボールをすることで、プロと素人の間にある溝を少しでも埋められたら・・・そんな願いを持っています。
前置きはさておき、さっそくキャッチボールを始めましょう。

私事になりますが、10年前に、実家を二世帯住宅にする機会があり、初めて家づくりというものを経験しました。色々迷ったあげく財閥系某ハウスメーカーに依頼したのですが、結果としては間違った選択をしたと思っています。

家というものを、商品として見ると、まことに奇妙な存在です。一生に一度の買い物といわれるように、よほどの金持ちで無い限りは何度も家を建て替えるようなことはできません。また、家電製品などと違って、私の家と同じものは、どこにも存在しません。つまり、
後にも先にも私が建てたこの家は、これっきりのものなのです。このように再現性、同一性を担保できないものは、世間的には「商品」とは呼びません。それは、「作品」と呼ばれるのが適当でしょう。

家を商品としてみるか、作品としてみるか。この点に日本の住宅が根本において抱え込んだ問題、ボタンの掛け違いがあったのではないかと思っています。
結論からいわせてもらえば、家を「商品」として扱ったことが、大きな間違いだったと考えています。

私の家を例にとると、今でもハウスメーカーの連中に家を建ててもらったとは、考えていません。確かに彼らは、美麗なイメージが載ったパンフレットや見積書を持ってきて熱心に「当社の家がいかに素晴らしいか」についてセールスしましたが、そのセールスマンは、棟上げ式と竣工引き渡し時に顔を見せたくらいで、実際に家づくりを引き受けたのは下請けの工務店の人々です。家をつくった人ならわかると思いますが、施主は、ほとんど素人なので、実際に工事が進んで行く段階で、色々な不具合や見直したい点が出てきます。幸いと、現場を担当してくれたのが誠実な棟梁で、ハウスメーカーの設計部が書いた設計図の問題点などを現場でいちいち指摘してくれました。
驚いたのは、そこからのハウスメーカーの対応です。棟梁のアドバイスなどを参考に施工段階で要求したいくつかの設計変更については、ハウスメーカーとしての標準設計仕様から外れるので、製品の10年保証との関係から対応できないと言い張るのです。私は激怒しました。

「これはあなた方の商品である前に、私の家であり、私の思い通りにできないというのは、全く理解できない。私は一生この家に暮らすのだから、あなた方の10年保証など屁でもない。そんなものはさっさと外してもらえれば結構だ」

私の剣幕に驚いて、ハウスメーカーは渋々対応しましたが、こうしたことから私が学んだのは、
「家というものは、サラリーマンに建てさせてはいけない」という教訓でした。


家は商品である前に、作品である。このことを先ず確認したいと思います。作品といっても芸術家気取りのアーキテクトが必要ということではなくて、作ったものに対して全人的に責任を持つ人間が、家づくりには不可欠であるということを言いたいのです。ハウスメーカーを否定するつもりはありません。法人の方が、個人よりも責任負担能力が高い面もあるわけで、重要なことは家づくりに顔が見えるということなのです。
個人にとって家づくりとは、一生のうちの大事業であり、その大事業にとことん付き合ってくれる「人間」が必要なのです。一概に工務店だからできる、ハウスメーカーだからダメということでもありません。大切なのは人間です。

プロの迎川さんの目からすれば、こうした私の議論は最初から暴投気味と捉えられるかもしれませんが、家づくりを誰がどんな立場で担っていくのかということは、とても重要な問題であるように思えます。
言葉の問題として、このことを考えると、家づくりに全人的に付き合う覚悟を決めたプロフェッショナルのことを何と表現したらよいか、というテーマに繋がります。工務店という言い方を、誰が言い出したのか知りませんが、竹中工務店のようなスーパーゼネコンも「工務店」の屋号を掲げているわけですから、ただ「工務店」といっただけでは、顔が見えない表現であることには変わりありません。せっかく、顧客の家づくりに全人的に付き合うことができるポジションに工務店の皆さんは居るわけですから、もっと顔が見える、自分のことをうまく表現できる言葉を創ることが必要ではないでしょうか。
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         <pubDate>Wed, 06 Jun 2007 05:16:11 +0900</pubDate>
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